悲しい母の死

3月17日は姉の誕生日をお昼にレストランで母と祝い、3月18日朝は、シャワーを自分で浴び、体を拭いてほしいと頼まれ全身ふくとありがとう。と言ってくれたのが最後の言葉となってしまった。水曜の夜は、ラーメンを食べに行こうと会話し、私は、仕事があるので出勤した。そして、午前の診療中にヘルパーさんから家を訪ねるとすでに母が倒れていたという知らせ。頭が真っ白になった。母が助かる見込みがないなんて。病院に駆けつけると死後硬直がはじまっていた。急性心不全だった。母は一生懸命、病気に負けずリハビリも頑張った。札幌山の上病院の蕨建夫先生に診ていただいてから寝たきり生活から少しずついろんなことができるようになり、人生に希望ができ、入院中から大好きな英語、スペイン語の勉強をし始め、DSの脳のトレーニングもDSが壊れるくらい頑張った。最近は、英字新聞も読んでいた。母は、前向きに蕨先生の指示に従い、一生懸命頑張ったので、自分のことを全てではないが、自分でできるようになってきていた。洋服を着る、台所に立つ、当たり前のことのようだが、それができなくなっていた母ができるようになってきていた。シャワーだって一人で浴びるなんて到底考えられなかったのに蕨先生は可能にしてくれた。それだけに悔しい。春になれば、お花畑にも連れて行ってあげられたのに。